飛翔

作品原案として書き連ねています。 書きかけで試行状態ですが、踏ん切りをつけるために、一度手を離すことを目的としています。

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2010年までの「飛翔」

◇ 目 次 ◇
 ◎ 夜の長い街にて
 それは、我が親であることが多いのだが、人は何かを越えたと思う瞬間を体験するものである。
 しかし、その体験ができない、越えられない自分を自覚することも、その体験に等しく心に留めることが大切なのかもしれない。
 最近そう思うのである。
                ★
  その一 (09/4/16)   その二 (09/4/19)   その三 (09/4/21)   その四 (09/4/22) 

  その五 (09/4/25)   その六 (09/4/29)   その七 (09/5/1)
                ★
  その八  (09/5/2)    その九  (09/5/3)    その十  (09/5/4)    その十一(09/5/5) 
  その十二(09/5/6)    その十三(09/5/7)    その十四(09/5/8)     その十五(09/5/9)
  その十六(09/5/10)    その十七(09/5/11)   その十八(09/5/12)    その十九(09/5/13)
  その二十(09/5/14)    その二一(09/5/15)   その二二(09/5/16)    その二三(09/5/17) 
  その二四(09/5/18)    その二五(09/5/21)   その二六(09/5/27)    その二七(09/5/28)   
  その二八(09/5/29)     その二九(09/5/30)   その三十(09/6/18) 

 ◎ 話題考

   話題考1 : 「箸墓は卑弥呼の墓」        話題考2 : 「レジ袋有料化運動」 
   話題考3 : 「レジ袋有料化運動足並み乱れ」  話題考4 : 「レジ袋有料化運動足並み乱れ」?
    話題考5 : 「県婦連、実施店舗での買物呼び掛け運動展開」 
   話題考6 : 「エコカー購入時補助開始」    話題考7 : 「新型インフルエンザ実際の発症経過」 
   話題考8 : 「皇族の墳墓としての箸墓」    話題考9 : 「レジ袋有料化の影響」 
   話題考10 : 「若者たむろ防止装置」      話題考11 : 「教職員の不祥事対応」
   話題考12 : 「異常を基盤にした環境づくり」  話題考13 : 「エコポイントの意義」   
   話題考14 : 「異常を基盤にした環境づくり?」  話題考15 :  「低炭素社会づくり」 
   話題考16 : 「ヤマユリライトアップ」        話題考17 : 「森づくりに多様な広葉樹植林導入」
   話題考18 : 「携帯を持たせない条例」       話題考19 : 家庭教育 
   話題考20 : 「原子力政策の議論を再開」    話題考21 : 「異常を基盤にした環境づくり③」 
   話題考22 : 「官僚から政治家の手に?」     話題考23 : 「地震予知の緊急放送」
   話題考24 :  「環境問題高揚とかかわって原発肯定の動き」
   話題考25:  環境問題高揚とかかわって原発肯定の動き?
   話題考26 : 「環境問題高揚とかかわって原発肯定の動き③」
   話題考27 :  環境問題高揚とかかわって原発肯定の動き④  
   話題考28 :  「環境問題高揚とかかわって原発肯定の動き⑤」







 ◎ 日々雑感
   日々雑感1 : 「一日一生」          日々雑感2 : 「庭を食材供給畑に見立てて」 
   日々雑感3 : 「目安箱」            日々雑感4 : 「大学改革」のイメージ」    
   日々雑感5 : 「臓器移植法案」        日々雑感6 : 「裁判員制度」  
   日々雑感7 : 「新型インフルエンザ対応検証」   日々雑感8 : 「正しい問題広報のための嘘」
   日々雑感9 : 「季節便り~夏の頃」      日々雑感10 : 「正しい問題広報のための嘘」?   
   日々雑感11 : 「臓器移植法案」?     日々雑感12 : 「食材から、料理を決める」 
   日々雑感13 : 「裁判員制度」?       日々雑感14 : 「最低賃金と生活保護基準」   
   日々雑感15 : 「民間委託に影の部分はないか」   日々雑感16 : 「大人の議論」





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テーマ:気になった事 - ジャンル:ニュース

  1. 2014/04/19(土) 15:37:59|
  2. 2010年までの目次
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「再び芭蕉翁を追う」:福島の子規2-49

 子規は、瑞岩寺の林立する俳句の碑をみて批評するが、ここに充分に自己表出している子規を感じる。
 先にも記したように、子規はよく身辺の連中を小気味よくけなしたらしい。頼まれたわけでもないのに、友人の句には勝手に赤を入れるとも。
 そういったことと同質の意識が見える。

 もう一つの態度が、小僧の案内にもうっとうしいと感じていることだ。寺の宝物である玉座・名家の書幅・邦の古物、八房の梅樹等、いちいち指示するというのだ。
 これも、子規の自己表出ということとかかわるように思うのだ。
 このいちいちその見方を指示する場面は、二本松の黒塚観音寺でも経験している。寺僧に賽銭投じ、小堂を案内され、壁上の書、函中の古物を説明して、その縁起を説いている。
 しかし、「はて知らずの記」を読む限りでは、子規は神妙に案内されていたように感じる。
 確かに、老僧であることや袈裟を正すその姿勢との対比もあるのだろうとは思う。しかし、それだけではなさそうだ。ここには、忠実に芭蕉翁を追う姿勢と子規自身の表出ということとの意識のバランス感覚がかかわりそうだと思うのだ。
 この時に比べると、芭蕉翁を追う姿勢に比して、自己を表出するという意識の強さが表れているように感じるのだ。こういった意識の変化を勝手に思う。
 このあたりからの「はて知らずの記」は、子規の自己が前面に表出されたものとみたい。

闇は、先ず遠き島山より隠して夜に入る。
 灯ちらゝゝ人影涼し五大堂

 今や月が出るだろうとと眼を見張る様を、
 松島の闇を見て居るすゞみかな
 すゞしさや さらに月なき千松島


 小舟が二艘ほど赤い提灯をともしつらねて、小歌を歌い月琴を弾きなどしながら、そこここと漕ぎ回るのは、これも月を待つこと。
ともし火の島かくれ行く涼み船

 海の面がほのかに照って、雲の隙に月の影が現れれようとする。
 波の音の闇もあやなし大海原、
      月が出る方に島が見えわたる。
 すゞしさの ほのめく闇や 千松島
 すゞしさの 魂出たり 千松島


 一句二句うなり出だす間もなく、月は再び隠れて、このあたりの雲の中とおぼつかない。
 あはれこよひ一夜こそ松島の月を見んと来しものを
 心なき月は知らじな松島に
      こよひはかりの旅寝なりとも

観月といふ楼の名を力に夢魂いずこにや迷うらん。


 国語的な素養はないが、散策の経験をもとに子規が表現したかった心持を読み取ってみると、こんな感じではないのかなと思う。

テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/12/23(木) 11:05:04|
  2. ○ 福島の子規(ノンフィクション)
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  4. | コメント:1

「再び芭蕉翁を追う」:福島の子規2-48

子規は、観瀾亭の後、瑞岩寺に詣でるが、芭蕉の足跡を忠実に追うということとは違っているように思う。
確かに、その雰囲気には感心している。

経の声かすかに涼し杉木立
 両側の杉林が一町ほどで、奥まったところに山門があって、苔むし虫蝕しても、なお昔の面影がある。古風優雅で、奥深くてもの静かで愛すべき招提(寺院)だと。
 しかし、関心は句碑にあるようで、しかも、その評価は手厳しい。「門側に俳句の碑が林立するが、殆んど見るべきものはない。」と断じる。
 唯、「春の夜の 爪あがりなり 瑞岩寺 乙二」の一句は、古今を圧して独り、卓然としているように思うと記す。
 小僧の案内で寺の宝物である玉座・名家の書幅・邦の古物、それに、八房の梅樹等を見るが、その見方をいちいち指示するのを、うっとうしいと感じたようだ。

 政宗の眼もあらん土用干
 彼は、自分の病気を嘆きつつ、よく身辺の連中を小気味よくけなすらしい。普通に考えれば、八方塞がりのはずなのに、明るさとしぶとさを感じるのはこの姿勢なのではないのかなと思う。頼まれたわけでもないのに、友人の句には勝手に赤を入れると嘆いたのは、漱石だったろうか。
 林立する俳句の碑をみて批評することに、そういったことと同質のものを感じる。

 彼は、散策も精力的で、五大堂にも詣でる。
 小き嶋二つを連ねて橋を渡している。橋はおさ橋で、おさのように橋板まだらに敷いて足もとが危く、うつむくと水が覗ける。(※ おさ = 織機の付属具で、薄片を櫛(くし)の歯のように並べ、枠をつけたもの)
 をさ橋に足のうら吹く風すゞし
 すゞしさや嶋から嶋へ橋つたひ


 日が暮れるまで、松嶋や雄嶋の浦めぐりをするが、いくら巡っても飽きることはない。
 旅亭に帰ると、欄干にもたれて月明りの松島の島々をみる。
 夕されは妻やまつらんまつしまの
       小嶋かくれにいそぐ釣舟

 空は陰雲閉じて雨を催さんけしきなるに、一夕立の過ぎなば中々に晴るゝ事もあらんかと空だのみして
 夕立の虹こしらへよ千松嶋


 松島は、いくら巡っても飽きることはないらしく、次の項を立てて、松嶋や雄嶋の浦めぐりを記す。

テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/12/17(金) 10:26:48|
  2. ○ 福島の子規(ノンフィクション)
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:0

「再び芭蕉翁を追う」:福島の子規2-47

 松島に上がった後のコース取りは、違ってくる。
 子規が追う芭蕉翁は、実際には松島湾、瑞巌寺、雄島の順にたどっているらしい。
 松島に到着した芭蕉は、伊達政宗が再興に精魂を傾けた瑞巌寺参拝し、その南方に浮かぶ雄島を訪ねる。
 「随行日記」や本文から、雄島での立ち寄り先として頼賢の碑・座禅堂・松吟庵であったろうことが挙げられ、見仏上人の旧跡などもこれに加わると見られている。

 これを追う子規は、まずは観瀾亭の前に宿をとったようだ。部屋からも松島の景色を楽しみ、とりあえずは観瀾亭に出かける。芭蕉は瑞巌寺にたっぷりと時間をかけるようだが、子規はここで、たっぷりと時間をとる。
 それから、瑞巌寺、五大堂に詣でて、夕暮れになると、その松島の風景に浸り、旅亭に帰っても、欄干から見える島々を楽しんでいる。

 観瀾亭では、太閤と政宗(貞山公)とのかかわりと装飾や建材の豪奢さなどをたっぷりと描写する。そして、その廊下に座って、じっくりと松島の風景を楽しみ、「各媚を呈し嬌を弄す」。
 太閤と政宗(貞山公)という天下の豪傑がかかわった亭であることに思いを馳せ、松島という扶桑第一の好景に浸る。
 その2人はいないわけだが、風光依然として天下に冠たる限りは、涼風萬石夏を忘れる頃、明月一輪秋まさに半なる時、両公の幽魂手を握ってそこに遊観彷復するにきまっていると。そんな感じだ。
 そこに自分を重ねて表現するが、今のところ、その思い入れをどう表現していいか分からない。とりあえず、子規の表現に自分の理解を重ねて表記している。

 自分はそん大それたものではないが、其意気昂然においては、敢て両公に譲らないという。いわんや風月の権においては、一書生の手より奪うべきではない。
 独り亭前に座って左顧右眄(あちこち見回す)と、両公彷彿して座間に微笑するを見る。しかし、傍人はもとより知らない。
なき人を相手に語る涼みかな


 こんな感じだろうか。
※ 12/15付加
 俳句はよくわかっていない素人にとっては、この句だけを読んでも分からないところがあるのだが、足跡を追うと、ひょっとするとこうなのかなと思うことがある。
 ここでいう「なき人」って「太閤」であり、「政宗(貞山公)」であり、ひょっとすると「芭蕉翁」も含んでいるかもしれないなどと勝手に思っている。 
 

テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/12/14(火) 10:54:59|
  2. ○ 福島の子規(ノンフィクション)
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  4. | コメント:0

「再び芭蕉翁を追う」:福島の子規2-46

 松島湾に出た子規は、山が洋々に開いてきて、海が遠くに広がる風景を芭蕉の描写と重ねているかのように楽しみながら名文調で描写する。
 まずは、島が並びその見え方が変化する風景を捉えて描写する。
 舟から見る島々は、縦に重なり、横に続いて、遠近の説明し難く、その数もまた知り難い。自分が移動しているのに、海の景色が動いていると錯覚する。一つと見えた島が、二つになり、三つに分れて、竪長と思っていても、直ぐに幅が狭く細く尖りたりして、眺める山の次第に円く平たくなっていったりする。
 次にいろいろな特徴的な島を描写し、その遠景としての金華山、「海岸線に見える山領は富山観音、舳に当りたるは観月楼、楼の右にあるは五大堂、楼の後に見ゆる杉の林は瑞岩寺なり。瑞岩寺の左に高き建築は観瀾亭、やや観瀾亭に続きたるが如きは雄嶋なり」と船が向かう海岸に見える風景を描く。
 芭蕉の描写も名勝の地を名文で表すが、子規もまたそれを意図しているように思う。その名文調が崩れてはいけないと思うので、自分が分かりやすいように言い換えるのはやめておく。
 その海岸に船が着き、悦惚れとして観月楼に上って詠む。

 涼しさの眼にちらつくや千松嶋
 涼しさのはらわたにまで通り島鳧(ちどり)

 確認しておきたいのは、芭蕉と散策順に違いはあるが、この「塩釜経由松島」のコースどり同じだ。
 子規は、宮城野から真っすぐこのコースを追体験する。

 我々がこれの追体験に近づくには、塩釜からの観光船島めぐりの後に、松島に向かって観光コースを巡るということになるのだろうか。
 松島は何度も訪れているし、塩釜からの島めぐりも体験している。しかし、現代の商業化された観光地という条件の中では、手こぎであったろうゆったりとした時間の流れ、波の感触などを味わうことは難しい。芭蕉や子規の高ぶったその思いを、目の前に風景と重ねて感じ取ることは無理だろうなと思う。

テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/12/08(水) 18:52:56|
  2. ○ 福島の子規(ノンフィクション)
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親馬シン

Author:親馬シン
 原点であるフィクション「夜の長い街にて」を整理していく中で、自分が求めていたものの輪郭が明らかになると思っていた。
 しかし、実際にはそうはならなかった。

 今は、知りたいことを追い求め、何も考えずに書きとめるだけだ。それでも充分満足している自分を感じている。

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