飛翔

作品原案として書き連ねています。 書きかけで試行状態ですが、踏ん切りをつけるために、一度手を離すことを目的としています。

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正岡子規メモ : 遠ざけようとする力が働くもの①

 「病状六尺」を読み始めたが、なかなか読み進められないでいる。文庫本で字が小さくて、老眼にはこたえるというのも一つの理由ではある。しかし、それだけでない。
 書かれている対象に、こちらに馴染みがないことがあって、読み進めていけないでいるところもある。

 たとえば、六から始まる美術論は、十・十一・十二と、5月12日から5月24日までつづく。その中でも、「手競画譜」で、南岳、文鳳を述べるあたりからそれが顕著になる。
 解説では、それを、強いられた病苦の中に信じられない活力で時代を先導する執筆と画譜画帳の類を観て楽しむ審美眼と美術論が、執筆する活動を支えているということに触れる。そこに、自らも写生し、『果物帖』・『草花帖』の画集を作り、その苦労談が随筆を光らせることを論じる。

 読みなれた方にはその通りだろうが、これは素養のないものが子規に近づくことを拒否する効果が生まれている。
 この随筆のよさは、画譜画帳を観る審美眼と、自らも絵を描くという経験のコラボレーションを表現していることというのであれば、その画譜画帳を観たこともないような読者には、この随筆の良さは分からないと突き放されているというふうにも受け取られる。
 解説する方は、素養があるので、そんなことをいったつもりはないのだろうとは思うのだが、素養のないものは挫折する。

 ところが、例えば渡辺南岳の図鑑などは、子規でさえ、手元に置きたくて、周囲が画策してようやく貸してもらったというような図鑑らしいのだ。それを苦にせずに、読み解くべきで、そうすることによって本質が見えると考えるのは、専門家の発想だ。観れるに越したことはないが、子規の生き方に興味を持って、それに触れてみようという視点なら、ここで挫折させる必要はないはずなのだ。
 むしろ、素養がなければ、思い切ってこの美術論を読み飛ばして、別な評論で状況を知るということで、この作品がずんと身近になることを見つけた。

テーマ:本読みの記録 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2010/01/11(月) 11:34:32|
  2. ○ 福島の子規(ノンフィクション)
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Author:親馬シン
 原点であるフィクション「夜の長い街にて」を整理していく中で、自分が求めていたものの輪郭が明らかになると思っていた。
 しかし、実際にはそうはならなかった。

 今は、知りたいことを追い求め、何も考えずに書きとめるだけだ。それでも充分満足している自分を感じている。

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