飛翔

作品原案として書き連ねています。 書きかけで試行状態ですが、踏ん切りをつけるために、一度手を離すことを目的としています。

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福島の子規2-3

 地域のかかわりある人や物に誇りを持つという観点から、どんな方と交流したかという観点で散策することは大切な視点だ。
 まず、白河では、俳句を通して子規と交友があった人物がいた。
 郡山でも、今泉丈助という子規の病気を見舞って、短歌を送られた方がいた。
 須賀川には、明治俳壇の大御所の紹介状で会えた俳諧師道山壮山という方がいた。大御所の紹介によって合うような偉大な方だ。
 本宮から二本松の間では、南杉田村の素封家俳人遠藤菓翁を訪ねて宿泊する。氏は味噌醤油の製造業を手広く営む事業家で、村長も務めた人物とのことだ。恐らくは、これも計画通りの交流だろうか。

 計画的な交流ではないが、二本松では、阿武隈の「供中の渡し」の橋本茶屋主人との俳句談義から紹介された俳人櫛見青山氏を訪ねるという交流もある。
 この主人も、風流人で、油屋をたたんで茶屋を開いていたとのことだ。そして、その青山氏から万福寺を訪ねるように紹介されて、そこに一泊するという交流もある。

 この視点で見て行くと、福島駅に降り立った子規には、この見るべき交流がない。
 「正岡子規の福島俳句紀行」も、小見出しは「飯坂で詠む歌の数々」「医王寺断念し帰途へ」として、人との交流にはふれない。
 ただ、福島の旅籠の主人も俳句を嗜む方だったとのことだし、「はて知らずの記」では、飯坂の旅館で接した下働きの平蔵という若者が、アメリカに渡る大志を抱いていたことが紹介されている。交流がなかったということではない。しかし、今までの方と違うのは、ごく一般の方であるということだ。事業家でもないし、地域の名士でもない。
 そういう意味で、地域のかかわりある人に誇りを持つという観点からは物足りないのだろう。ここでの交流は、見出しには上がらなかったのは、そのためだと思われる。

 しかし、これは表現者子規として見た時には、交流性の呪縛から解き放たれた姿と見るべきなのではと思えてくる。形式美や権威というものから脱皮して、素直な心で表現できる準備が整ったのではないかと思えるのだ。
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  1. 2010/09/18(土) 11:58:47|
  2. ○ 福島の子規(ノンフィクション)
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Author:親馬シン
 原点であるフィクション「夜の長い街にて」を整理していく中で、自分が求めていたものの輪郭が明らかになると思っていた。
 しかし、実際にはそうはならなかった。

 今は、知りたいことを追い求め、何も考えずに書きとめるだけだ。それでも充分満足している自分を感じている。

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