飛翔

作品原案として書き連ねています。 書きかけで試行状態ですが、踏ん切りをつけるために、一度手を離すことを目的としています。

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福島の子規2-8

 「奥の細道」とかかわって桑折あたりを歩こうとすると、何となく挫折したように感じる。それは、散策の中で芭蕉とのかかわりを探すと「芭蕉塚」というものに出会う。これは、蕉風俳諧を広めようという広報担当者が、奥の細道を宣伝する方法で、これが全国各地で展開されているという事だ。
 文学の世界にも疎いので、古典は、作品自体が醸し出す力で残ると勝手に思い込んでいたが、そうではなく、こういった経営的な機能も大切な要素である事が伺える。
 野垂れ死にすることも覚悟して旅し、本当に仏法有縁の地と定めて入寂しようとする精神も大切な要素ではあるが、それだけでは名も知られるはずもない。
 その例が、覚英僧都だろうか。それでも、彼の名が残るのは、ここに西行との交流があったということではないのだろうか。そして、そのことの素晴らしさを知る者の存在があって、どうにか知られているとい状況なのではないのだろうか。
 古典として残るための要素は、一方で高い精神性はあるが、もう一方では、軽やかな覚悟で軽やかに表現できるということと、宣伝という経営的な機能が大切であるということを思い知らされる。

 その視点で、芭蕉や子規の信夫の里までの交流を見直すと、どちらも修行の交流という事ではなさそうだということに思い当たる。
 芭蕉は、蕉風俳諧とかかわることがその地での権威を誇るための手段としている方としか交流していない。訪ねる側にとっては、心地よく旅をする必要性を満足させるという経営的な機能でしかないということだ。
 子規は、同じように権威者の紹介で同じように交流をする。しかし、彼はそこで壮山と俳諧談義で大論争となり、宿泊を辞退し郡山町駅舎に泊まったということだ。これが、子規の魅力とかかわるのではないかと思う。
 その後の交流は、出会った方をつないでいくということだ。どちらかというと俳句の修行に近いもののように思う。福島からは、それも断ち切っている。
 その上で、子規はさりげなく覚英僧都に立ち寄る。文学の世界を知らない者は、子規のその精神性に着目して感じ入ってしまうのだ。
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テーマ:ノンフィクション - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/09/24(金) 10:57:49|
  2. ○ 福島の子規(ノンフィクション)
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Author:親馬シン
 原点であるフィクション「夜の長い街にて」を整理していく中で、自分が求めていたものの輪郭が明らかになると思っていた。
 しかし、実際にはそうはならなかった。

 今は、知りたいことを追い求め、何も考えずに書きとめるだけだ。それでも充分満足している自分を感じている。

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