飛翔

作品原案として書き連ねています。 書きかけで試行状態ですが、踏ん切りをつけるために、一度手を離すことを目的としています。

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福島の子規2-10

 正岡子規が飯坂に来るのは、明治26年(1888年)だ。その5年前の明治21年(1888)4月に湯町から出火した火は、西風にあおられて、湯沢・十綱町に延焼し、飯坂の風景を一変させているようだ。この時に、鯖湖湯も焼失しているらしい。鯖湖湯が再建されるのは、次の年の明治22年(1889)で、鯖湖神社が建立されるのが、明治24年(1891)という事なので、子規が見た鯖湖湯あたりの風景は、新築されたばかりの建物だったと想像される。
 この焼け跡から立ち上がるのに、堀切氏が奔走して、その街並みを整備しているようだ。
 焼け跡の旧道を広げ、古戸・東滝ノ町・湯沢の畑に新しい道を造ったのは、これがきっかけだという。更に、錦町・古戸町・旭町・鯖湖町・若葉町という新町を設置し、摺上川沿いの若葉町に遊郭を移転したのもこの時だとのことだ。
 なお、「飯坂の碑」が八幡神社境内に移転されたのもこの時とのことで、多分、子規はこの碑を見ていないと思われる。
      なかむら屋家紋にこだわって

 鯖湖湯近くの白壁土藏造り3館建ての中村屋の建物は、元禄元年(1688)創業の「花菱屋」旅館の建物で、明治22年(1889)に土湯からここに移ってきた中村屋が買い取ったものだ。ここに、温泉史で紹介される湯沢の旅館のうち、掘江屋旅館、
      ほりえ屋
 なかや旅館などを加えて当時の風景をイメージする。
     なかや


 この風景についてはイメージしていたが、滝の湯の旅館についても、この時代に新たな風景になっていたということは、最近知る。
滝の湯

 花水館が、滝の湯に移ったと思われるのが、明治20年から明治22年の間だと思われるというのは、「花菱屋」から「花水館」に改めるのが、明治20年のようなのだ。明治22年には、今までの花菱屋を中村屋旅館に譲っているわけだから、角屋、枡屋、花水館の老舗が、滝の湯を中心とした温泉街を構築していたと思われるのだ。正岡子規が飯坂に来るのは、明治26年(1888年)なので、ここも飯坂の中心旅館となっていたと思われるということだ。
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テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/09/27(月) 17:21:10|
  2. ○ 福島の子規(ノンフィクション)
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Author:親馬シン
 原点であるフィクション「夜の長い街にて」を整理していく中で、自分が求めていたものの輪郭が明らかになると思っていた。
 しかし、実際にはそうはならなかった。

 今は、知りたいことを追い求め、何も考えずに書きとめるだけだ。それでも充分満足している自分を感じている。

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