飛翔

作品原案として書き連ねています。 書きかけで試行状態ですが、踏ん切りをつけるために、一度手を離すことを目的としています。

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福島の子規2-12

 この十綱橋は、幾つかの言い伝えが重なっている。
 昔は、飯坂温泉駅脇の川岸から、湯野町橋本館南にある柳の木の所に、10条の藤の綱を張り、それに横木を結んで板を渡していたという。これが「十綱橋」の由来とのことだ。
 文治5年(1189年)、大鳥城に佐藤基治が義経追討の鎌倉勢を迎え撃つため、自らの手で橋を切り落として、石那城合戦に赴いたという言い伝えのようだ。
 ここは、それ以降は「とつなの渡し」ということになっていたとのこと。
 飯坂側と湯野側の岸に大杭をうち,それに綱を結び,手で綱をたぐって舟を動かすという方法で川を渡るということが、明治の初めまで続いたという。

 明治6年(1882)になって、熊坂惣兵衛と盲目の伊達一が寄附金を募って、県に請願して木造の吊り橋を架けたらしいが、これが半年で落ちてしまう。この橋が、「摺上橋」と言われていたらしい。
 明治8年になって、今度は県が橋本館の新館の所から斜めに橋を架けることになる。ただ、その費用は地域の負担であり、地元有力豪農がかかわったという。この橋は、宮中吹上御苑の吊り橋を模して10本の鉄線で支えられていたという立派な橋だったらしい。
 この橋は、明治16年に大修繕が加えられ、更に明治24年には県費の補助も受けて、伊達信夫両郡の負担で大修繕が施工されている。それにも関らず、漸次橋体が傾き,交通上危険のおそれがあるので架け換えが計画された。
 この橋は、明治43年8月27日には大出水で落橋してしまうようだ。

 これは、現在かかる鋼橋「十綱橋」の前の代の橋の話だ。
 子規が飯坂を訪れたのは明治26年なので、この橋を眺めていたはず。沿革と照らし合わせると、2年前に大修繕が加えられた時点の橋を眺めているという事になる。完成されたばかりなので、素晴らしく整備された橋と見えただろうと思われる。
          駅前

 「奥の細道」の曾良も、この十綱については、八雲御抄夫木集の歌枕であると名勝備忘録に書き留めているという。
 彼が挙げた古歌、「みちのくの とつなの橋に くる綱の 絶やすも人に いひわたるかな」は、千載集による歌で、平安時代に藤づるで編んだ吊り橋がかけられていたという時代の歌のようだ。

 なお、現在の鋼橋「十綱橋」は、大正4年に完成されたものが原型で、昭和40年(1965年)に大補修が加えられている。
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テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/10/02(土) 15:08:56|
  2. ○ 福島の子規(ノンフィクション)
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 原点であるフィクション「夜の長い街にて」を整理していく中で、自分が求めていたものの輪郭が明らかになると思っていた。
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