飛翔

作品原案として書き連ねています。 書きかけで試行状態ですが、踏ん切りをつけるために、一度手を離すことを目的としています。

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「極楽『信夫山公園』」:福島の子規2-21

 「信夫山公園碑」によると、信夫山公園は明治7年10月に官有地を借りて、県内初の公園として開設されたという。その管理は、福島県から信夫全町村へ、そして福島村と転々としていた。
 子規が訪ねた明治26年頃は、都市公園第1号の信夫山公園として、福島町が管理するようになったということのようだ。
        護国神社
 信夫山公園の向かいには、明治12年に官祭信夫山招魂社として、現在の護国神社が鎮座していた。その隣には古くから黒沼神社が鎮座していた。
 また、明治20年(1887)には、県馬産組合が産馬改良の目的で、信夫山公園の南側に一周800m、4コースの競馬場が出来ていた。東北地方では初めての本格的な馬場で、信夫招魂社の奉納のため、春と秋の2回レースが行われていたという。正岡子規が信夫山公園を訪れた明治26年には、既にこの競馬場は存在している。

 子規は、先に整理したように、この公園から月明りで福島の町を眺めている。月明りを確認すると、子規が頼りにした月明りは満月近い月齢12だったと思われる。
 公園は開発されたばかりなので、木々は小さく、確実に眺めた視野の中にこの競馬場も入っていたはずだ。ただ、夜の闇の中だったので、遠くまで水田が広がって見えていただけかもしれないとも思う。
       信夫山脇食堂

 子規の描写によると、ここで酒を飲んで言い争う声が聞こえたという。それで、この山のおでん屋の老舗角屋の創立時期を確認したら、明治23年ということだった。子規が訪ねる3年前に新しく造られている。恐らく宴会が行われていたのはこの料理屋があったあたりだろうと思う。それらは信夫山公園の北側のやや低地の道路に沿ったあたりだったろうと思う。

 子規は、この酒に酔った人は、景色を眺める様子もない人達だったので、月の光は自分にだけ降り注いできたといっている。子規は、信夫山からの夜景を一人じめできて満足している。
 公園に旅人ひとり涼みけり
 その上で、詠まれたのがこの句だ。
 見下ろせば月に涼しや四千軒
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テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/10/10(日) 09:16:02|
  2. ○ 福島の子規(ノンフィクション)
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 原点であるフィクション「夜の長い街にて」を整理していく中で、自分が求めていたものの輪郭が明らかになると思っていた。
 しかし、実際にはそうはならなかった。

 今は、知りたいことを追い求め、何も考えずに書きとめるだけだ。それでも充分満足している自分を感じている。

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