飛翔

作品原案として書き連ねています。 書きかけで試行状態ですが、踏ん切りをつけるために、一度手を離すことを目的としています。

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日々雑感4 : 「大学改革」のイメージ

 「毎日新聞」引用句辞典(5月27日)「大学改革」を読んで感じるものがあった。
 社会に出てから直接的に役立つ技術や方法を教えて資格試験に合格させることを至上目的にした効率的カリキュラムの改革が政府主導のもとに進行しているという。それを、大学の「自動車教習所化」が進んでいると捉えているようだった。
 この実用シフトへの転換によって失うものの側面を「恩師」という概念で説明している。その恩師のイメージを漱石時代のアウラとまではいかなくても卒業してかなりたってから「ああ、あの先生はえらかったな」と初めて気づく懐かしく思い出すようなイメージとして説明していた。
 比喩的な論じ方は、普段は気をつけて読むのだが、これには説得力を感じてしまった。

 その風潮は、大学改革の範囲にとどまらないなという思いがあるからかもしれない。
 最近までのニュースを見ていると、中等、初等の学校についても同じような流れがあることを感じていた。そこでも直接的に役立つ技術や方法を教えて、より上の学校に合格することを至上目的としたカリキュラム改革が進んでいるような気がする。しかも、これも大学の改革と同じように国や県の指導のもとに進行している。具体的には、直接的に役に立つ学力、あるいは、受験に勝ち抜く学力向上策の推進だ。目に見える形で成果を出し、その成果を基に評価をするという。

 そこで失うものがあるはずだが、現場からの声は聞こえない。
 先の大学の先生からの声を参考にさせていただけば、失うものがあるとすればそのイメージは、人間性の教育と信じ合うイメージだが、どうだろうか。
 「ああ、あの時に先生がおっしゃったことは正しかったな」とか、「あの時に、俺のことを思っていってくれたのだな」とかなりたってから気づいたり、あるいは気づかなかったりする教育という言葉に包括される無償の愛といったようなもの。そんなものは失われる状況にはないと笑い飛ばす状況なのだろうか。
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テーマ:生活の中で - ジャンル:ライフ

  1. 2009/06/19(金) 10:58:53|
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Author:親馬シン
 原点であるフィクション「夜の長い街にて」を整理していく中で、自分が求めていたものの輪郭が明らかになると思っていた。
 しかし、実際にはそうはならなかった。

 今は、知りたいことを追い求め、何も考えずに書きとめるだけだ。それでも充分満足している自分を感じている。

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