飛翔

作品原案として書き連ねています。 書きかけで試行状態ですが、踏ん切りをつけるために、一度手を離すことを目的としています。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

日々雑感6 : 「裁判員制度」

 臓器移植法案について、人の死生観という個人の信条にもとづくべきものが、国会の権威のもと、多数決で決められた。古い感覚の人間には、人の死がそんなに軽いものとは思えないのだが、基本的には、法で決まればそれに従った死生観でなければ罰せられるのだろう。
 個人の信条に国会の権威のもと土足で踏み込んできたものがもう一つある。それは、裁判員制度だ。

 毎日新聞(6月25日)は、この裁判員制度「義務でも参加イヤ64%」と題して、アンケート結果を報じていた。
 是非参加してみたいという方が14%だ。 この方々は、立法に携わる方や司法に携わる方にとっては、法律的には立派な方との評価だろうか。困った方々が64%で、司法関係者は、着実にこの制度が定着するように全力で取り組むとしている。

 参加したくない理由は、人を裁くことに抵抗があることを挙げる方が一番多いようだ。
 ところが、裁判員制度に移行するための方策として行われていることは、判断に自信がないとか仕事に支障が出ないように短期になるようにするということに対する方策のようで、どこかすれ違っている。
 宗教関係者はもっと深刻らしく、日本カトリック司教協議会は、聖職者が裁判員に辞退を促す見解を発表している。過料を払っても不参加を勧めるべきだとしている。
 真宗大谷派は、死刑事件に裁判員としてかかわったとき、自らは死刑の判定をしなくとも、心の傷は一生自らを苦しめるとして、司法制度改革は、死刑を廃止することから始まらねばならないと訴えている。

 要は、人を裁けるかということは、個人の信条にかかわる事なのだ。多分、この心情は司法にかかわる方には、分からないかもしれない。何故なら、職に就いたのは、自らが正義のために判断を下したいという信条の方々のはずだからだ。
 しかし、多くの日本人の感覚は、自分が人を裁くことを欲しないことが基底に流れているはずなのだ。
 それなら、なぜ立法の方々が決められたかということだが、それは立法の方々には、この攻めは負わないようになっているからではないだろうか。そこは他人ごとで、制度上よくなるという正義感の受け売りでなかったかといったら失礼か。

スポンサーサイト

テーマ:生活の中で - ジャンル:ライフ

  1. 2009/06/25(木) 11:46:05|
  2. 日々雑感
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<日々雑感7 : 「新型インフルエンザ対応検証」 | ホーム | 日々雑感6 : 映画視聴>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://shin485.blog10.fc2.com/tb.php/53-61a7bd98
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

タグそして検索

プロフィール

親馬シン

Author:親馬シン
 原点であるフィクション「夜の長い街にて」を整理していく中で、自分が求めていたものの輪郭が明らかになると思っていた。
 しかし、実際にはそうはならなかった。

 今は、知りたいことを追い求め、何も考えずに書きとめるだけだ。それでも充分満足している自分を感じている。

最新記事

カテゴリ

2014年10月15日までの発信内容 (10)
庭に集まる虫 (1)
花壇の花々 (2)
話題考2014-9 (6)
2014年9月15日までの目次 (3)
【会津へ向かう途中の風景から】 (1)
福島のイベント情報 (1)
2010年までの目次 (166)
○ 夜の長い街にて(フィクション)  (30)
○ 福島の子規(ノンフィクション) (52)
話題考 (49)
日々雑感 (28)
小さな目と小さな声 (6)
日々雑感2014 (1)
2014 (1)
2014年11月15日までの発信 (0)

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。