飛翔

作品原案として書き連ねています。 書きかけで試行状態ですが、踏ん切りをつけるために、一度手を離すことを目的としています。

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日々雑感12 : 「食材から、料理を決める」

 狭い庭を野菜畑とし、家庭菜園をするのだが、趣味の園芸としてではなく、実質的な食生活のための供給源としての畑と見立てることを目論んでみる。しかし、実際には、野菜の種類も数も足りない。 しかし、戦時中は僅かの広場にも、生活の糧としての野菜を作ったという話を聞く。生活の一助としての役割を担えないはずはないと思うのだ。

 何が違うのか。
 答えは単純で、それしか食べ物がなければ、それを土台に考えるということだ。
 食べたいものがあるから、その材料を作るのではなく、作っている食材があるから、それをもとにして調理するのだ。
 作りたい料理が先にあるのではないということだ。
 庭の食材は、食べなければならないものとは別で、趣味として、あるいはデザートして、庭でできた野菜を食べるという感覚が、実質的な供給源としての家庭菜園を阻止しているようなのだ。
 これを、逆にすればいい。
 まず、朝、収穫をしてみる。それを並べてみて、何が調理できそうかを考えるのだ。
 そこにある食材を最優先にしていけばいいのだ。
 
 実際に、今日はキュウリが3本採れた。それを切って、先に作っておいたあじ味噌で食べる。
 ミニトマト数個と、トマト1個が赤くなった。これも、一口大に切って、朝食の料理とする。
 それに、シシトウ2個と、ササギが数本採れた。ササギは湯がいて、シシトウは生のままだ。

 しかし、食べたいものを考えてから料理の材料を揃えるという手段に慣れてしまった贅沢の感覚が身についている。それは、無理に抑え込もうとはしない。逆に、味噌汁は必ず造るというこだわりや、物足りない分は、冷蔵庫から選び出した材料で付け加えるというふうにして調整するのだ。
 更には、全ての食事は考えないで、朝食だけに限定する。こういった妥協が大切だ。
 こうすることで、たかが狭い庭の家庭菜園でありながら、実質的な食生活の供給源となり得そうだと感じ始めている。そして、それが豊かに心に響き始めていると感じている。

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テーマ:生活の中で - ジャンル:ライフ

  1. 2009/07/15(水) 11:30:27|
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Author:親馬シン
 原点であるフィクション「夜の長い街にて」を整理していく中で、自分が求めていたものの輪郭が明らかになると思っていた。
 しかし、実際にはそうはならなかった。

 今は、知りたいことを追い求め、何も考えずに書きとめるだけだ。それでも充分満足している自分を感じている。

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