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「保育所待機児童数約2万5000人で、昨年度比約30%増加とのニュースは、自分の感覚では、短絡的に保育所の整備充実のイメージに走る。
しかし、「毎日新聞」「みんなの広場」に投稿されたお年寄りの方の意見は、「1.2歳の育児は家庭ですべきだ」という帰結だった。
待機児童の69%が1.2歳であることに、子供の幸せのためには家庭で育てるのが本来の姿のはずとの思いからの投稿のようだ。
しかし、ここからの話の展開が教育基本法を変えるために設置された御用民間人による「教育再生会議の皆さん」とは違う展開になる。
それでも、理想に向かって自分で豊に育てるべきという政府見解とは違って、現実的な経済情勢の悪化に伴う共働きの増加と理想論のずれを認める。その上で、この問題に潜む課題を探っている。
そして、理想論とずれる背景に、核家族化を挙げる。その根拠を戦後の大混乱期は、生活は今よりもずっと貧しく、朝から晩まで、休日も働きずくめの共働きだったはずなのに、安心して任せても、子供は家庭の愛情を受けていた。休日には子どもと遊ぶ余裕もあったという。
それは、家族関係の中で、祖父母が面倒みてくれていたということだ。
今の状況と預けなければならないという状況は同じだが、預ければ安心という感覚には、子育てという観点からは違いがある。将来的な子の育ちだけでなく、単に預けるだけで安心している感覚の中に、家庭で育てているという感覚が含まれているのと、そうでなく便利でしかないという感覚には違いが生じてもおかしくない。
親としての育ちにも違いがでてきそうだとも思う。
単純な経済にかかわる金の問題だけではなく、「しあわせ」にかかわる価値観も課題になっていることに気づかされたような感じがする。そのまま、大家族に移行すればいいということにはならないだろうが、その変化の中で失った価値に気付き、それを付加できないかという考え方の吟味は大切なような気がする。
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テーマ:生活の中で - ジャンル:ライフ
- 2009/10/03(土) 10:52:51|
- 日々雑感
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